神様に会いにいく

【連載エッセイ】 Vol.6 ツクヨミノミコト (月読神社)


vol.5で紹介したとおり、アマテラスにはスサノオのほかにもう一柱(※神様は柱と数える)、弟がいる。それが夜を統べる月の神様・月読尊(ツクヨミノミコト)。スサノオ→アマテラスと巡ってきたので、なんとなく三姉弟をコンプリートしたくて、ツクヨミノミコトに会いに行ってきました。

じゃじゃんっ。

ここは松尾大社です。京都の観光名所・嵐山の近くです。お酒の神様で有名で、kossmag,でもよしけいさんがレポートしてくれました。なぜ松尾大社に来たかというと、ツクヨミノミコトを祀っている月読神社は、松尾大社の摂社なのです(※摂社とは、メインの神社の境内や近くにある小規模な神社のこと)。

この手前には大きな赤い鳥居があったんですけど、ここはなんだかお寺のような門ですね。実は、わたし、松尾大社、初めて来ました。わくわくしながら、門をくぐる、その前に・・・。

腹が減っては取材はできないですからね。
注文してから焼いてくれます。団子らしい団子。コメのうまみ。今まで食べたことのあるみたらしの中で一番おいしかった。

「団ぷ鈴」というお店で、中でも食べられますが、中で自撮りするのが恥ずかしいから外で食べました。

というわけで、改めて、松尾大社へ。松尾大社の紹介はよしけいさんの記事に譲るとして、わたしは月読神社を探して、広い境内をあっちこっち、隅から隅まで、うろうろ、うろうろ。

奥に滝発見。

vol.5で初めてシステムを知った遥拝所が松尾大社にもありました。

とてもシンプルです・・・。

山を背負った松尾大社は広々として静かで空気がきれいで、とてもいいところ。

・・・が、どこですか。月読神社は。

スマートフォンでもう一度調べ直す。どうやら、松尾神社の境内にはないらしい。ここから徒歩8分だって。
神社を出て、普通の住宅街を歩いていく。

団子食べて張り切って自撮りしたのは、なんだったのか。てへぺろ。

あった!
気を取り直して、もう一度、じゃじゃんっ。

月読神社です。ひっそりとした場所にあるのに、鳥居はなかなか立派で、通り過ぎる人たち(たぶん松尾大社に行く観光客)も、「何これ? 月読神社だって」と言いながら通り過ぎていく。そういえばわたしも、昔、一度だけ、別の取材中に、車で目の前を通ったことがある。名前が印象的で、お参りしてみたいなと思っていた。

ツクヨミノミコトが祀られている本殿。静かな森の中の神社。

子授け・安産祈願で有名。

聖徳太子が月神を崇敬していたので、ここに一緒に祀られているのだとか。

穢れや罪を洗い流してくれる水。穢解水。名前がすごい。全身にかけたい。

というわけで、ツクヨミ様に会いにいってきたのだけど、やっぱりなんだかキャラクターがつかめない。それもそのはず。ツクヨミのことは、ほとんど神話に書かれていない。

日本の成り立ちを書いた書物は、『古事記』と『日本書紀』の二種類あって、似ているところもあれば違うところもある。ざっくりと特徴を説明すると、『古事記』のほうが物語っぽくて、『日本書紀』のほうは政治色が強い。ふたつを合わせて『記紀』と呼ぶそうです。

ツクヨミのキャラクターが分かるエピソードが書かれているのは『日本書紀』の方。vol.5で登場した食物神・保食神(ウケモチノカミ)と会うエピソードである。

アマテラスに命じられて、ツクヨミはウケモチに会いに来ました。ウケモチはツクヨミをもてなそうとして、口から御馳走を次々と吐き出します。さすが、食物の神。吐き出したものが御馳走になるなんて、やっぱ神様は違うなあ・・・。

ツクヨミ「吐き出したものを俺様に食べさせるとは!汚らわしい!」

え・・・?

激怒したツクヨミは、ウケモチを切り殺してしまった。

ええー!? (どん引き)

そこは神様同士、なんかこう、暗黙の了解とか、ないの? ないの?

どん引きしたのはわたしだけじゃない。お姉ちゃん(アマテラス)もどん引き。もうあんたには会いたくないわと、それ以来、月神の支配する夜と太陽神の支配する昼がきっぱり分かれてしまったそうです。
そしてウケモチの死体から、いろいろな食物が生まれて、おかげで地上に様々な食物があふれるようになったとか。

このエピソード、どこかで見たことがあると思ったら、『古事記』のほうでは同じようなことをスサノオがしている。ツクヨミの唯一のエピソードなのに・・・。でもスサノオのキャラのほうがしっくりくる・・・。スサノオなら、やりそう。

エピソード盛りだくさんのスサノオやアマテラス(彼らは子孫の代でも登場して活躍する)に比べて、なんでこんなに、ツクヨミは存在感が薄いんだろう。古代の人々にとって、夜はそんなに重要じゃなかったのだろうか。夜になるとすべての活動が一時停止。そして朝になって再生される。そんな感じだったのだろうか。じゃあ、月じゃなくて星はどうなってるんだろ、と疑問に思い、日本神話に星の神様はいるのかどうかを調べてみると、いるにはいるけれど、逆らったので征伐された、という、ひどい扱いになっている。

もし、古代の日本人が、長い航海で海を渡ったり、広い草原を夜も歩き続けたりするような生活をしていたら、星や月はもっと重要なエピソードを与えられたのかもしれない。いや、政治的な面や貴族の生活には重要ではなかったから『記紀』に書かれていないだけで、農業や漁業をやっている人たちにとって、月は太陽と同じくらい重要だっただろう。月神の物語は『記紀』に載っていないだけで、各地にあったのだと思う。

月を見ていたら物語を紡ぎたくなるのは、たぶん、わたしだけじゃないはずだ。

施設情報

月読神社

神社

月読神社(つきよみじんじゃ)

この記事を書いた人

寒竹泉美

小説家・医学博士

寒竹泉美

岡山生まれ、広島育ち。京都に住んで15年が過ぎました。ペット可の古い貸家で白黒猫のモーちゃんと夫と、マイペースに暮らしています。

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