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【月刊レポート】 Vol.1 瞳がキラッ☆新京極のビッグボス、誓願寺の阿弥陀さま


ファッション、雑貨、カフェに映画館…たくさんの店が立ち並ぶ京都の繁華街「新京極通」。その一角にある「誓願寺」には座って2.75mという、ビッグサイズの阿弥陀如来が通りを行き交う人々を見守っています。凛々しいお顔立ち、黒くつやのあるお体が白くキラリと光る眼を際立たせ、その存在感に思わず足を止めてお堂を覗き込む方もいるほど。まさに「新京極のビッグボス」です。

今回はそんな阿弥陀さまの知られざる秘話と見どころをご紹介します。
誓願寺の創建は今から1350年ほど前、667年に天智天皇のご誓願で、奈良の尼ヶ辻のあたりに阿弥陀さまをご本尊として創建されましたが、その後、都が京都に移ると一条通小川へ移転、天正年間に豊臣秀吉により現在地に移されました。

江戸時代までは6500坪、塔頭寺院が18ヶ寺と今よりもずっと大きな寺域を持ち、境内には芝居小屋などの娯楽施設が立ち並び相当な賑わいでしたが、禁門の変(1864年)でお堂のほとんどを焼失してしまった上、明治に入ると新京極通りが境内を通ることになりその4分の3の4800坪を失うことになります。

お堂のみならずご本尊も火災で失ってしまった誓願寺ですが、すぐに復興へと動き出します。それだけたくさんの支援者がいらしたのですね。その一環で石清水八幡宮からやってきたのが現在の大きな阿弥陀さま。仏さまの実寸大とされる一丈六尺(4.85m、坐像は半分の2.4mほど)よりも少し大きい2.75mの坐像で、体が光っているので金属製に見えますが木製です。幾度も塗り重ねられた漆で表面は覆われていて、その作成方法や彫りの特徴から鎌倉時代から南北朝時代あたりの作と推測されます。

この阿弥陀如来について書かれた「寄附録」によると、もともとは京都府八幡市の石清水八幡宮にあった極楽寺に安置されていたもので、お寺は1868年に戦火により焼けてしまい、また当時の神仏分離の影響もありお寺を閉じることとなったためご本尊は誓願寺に移安されることになったのです。

はるばる石清水から台車に乗せられてゆるりゆるりとやって来たそうですよ。

さて、こちらの阿弥陀さま、正面のお顔はキリッと凛々しいのですが、横顔はまた印象を変えます。横から見ると頬のふくらみと唇の立体感が際立って見えるので、柔和でとても優しい表情に変わります。

そして、瞳には水晶が入っている(玉眼づくりという)のですが、その輝きが正面から横顔へと視点をずらす時にキラッと光ります。それが瞳を潤ませているように見え、なんとも慈悲深い表情になるのです。

実はこの頭部のみ昭和の時代に作り直されているとのこと。もともとはもう少し大きなお顔だったのですが、作り直す時に小顔になりました。ということは、以前は3m近い坐像だったということですね!

どっしりとした体躯で、あぐらをかいたような脚(結跏趺坐)にかかる衣紋もテンポよく、とても全体のバランスが良い阿弥陀さま。親指と人差し指で輪っかを作り両手を組み合わせた「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」の印相には少し厚めの水かきが見え、人々を救い漏らさず極楽浄土へいざなってくださるありがたいお姿を丁寧に細部まで表現しています。胸やお腹のあたりに残った金箔からもわかるように、造られた時は黄金に輝くまぶしい阿弥陀さまでした。

阿弥陀さまの周り、上部もしっかりご覧ください!天井は折り上げ格天井で格式高く造られ、光背には千体仏がびっしり!天蓋(天井から吊り下げられた飾り)も宝石が降り注ぐように美しく、中央の阿弥陀さまの尊さを堂内全体で感じることができます。

4年前に結婚した私ですが、実はこちら誓願寺にて仏前式を挙げさせていただきました。仏像に詳しいわけではない主人が、新京極を通った際、阿弥陀さまの目ヂカラにノックアウトされ、「ここで式を挙げたい!」と私以上に熱い思いで訴えてきました。その時の主人の目も阿弥陀さまのようにキラキラして真剣でしたので、その足で誓願寺に飛び込み依頼をしたのです。

お式を挙げさせていただいて以降、大病を患った時、子供を授かった時など節目にはここ誓願寺に訪れ、阿弥陀さまに近況を報告しています。これこそまさにご縁!この素敵なご縁を大事に子や孫へ受け継いでいこうと思います。

施設情報

誓願寺

寺院

誓願寺

この記事を書いた人

政田マリ

仏像ナビゲーター

政田マリ

月に一度素敵な仏さまをご案内する『月イチ仏像ガイド』主催。京都の魅力、仏像の魅力を世に広めるために仏像ガイドとしての活動しています。日本仏像検定A級。年季の入った『カープ女子』です。

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