ほとなび

【月刊レポート】 Vol.3 蹴上インクラインの謎多き「義経大日如来」


地下鉄東西線「蹴上」駅の改札を出て地上へ上がると三条通が目の前に現れます。京都市内と滋賀大津を結ぶ道路であり、近くには南禅寺などの観光寺院があるため、観光シーズンには渋滞が起きてしまうほど交通量の多いこの通りの喧騒をよそに、静かに穏やかな表情でそこにどっしりと坐す石仏が今回の主人公です。

駅の1番出口から少しだけ京都方面(北西)に進むと「ねじりまんぽ(写真)」があります。中のレンガがねじれるように配置されているのでくぐり抜けるとなんだかタイムワープできそうなそのトンネルの上が「蹴上インクライン」です。

インクラインは琵琶湖疏水のおよそ20キロの舟運ルートの途中で作られた、斜面に舟を往復させるために敷設された傾斜鉄道です。20世紀初頭に活用されましたが、鉄道など他の交通機関が充実したことで徐々に衰退し1948年に運行を停止しました。

現在は復元されたレールと台車があり、周辺は公園として整備され、春は桜並木、秋は紅葉が彩りを添え、人々の憩いの場となっています。

そのインクラインを上りきると少し視界の開けた広場があります。そこに京都方面を背にするように建つ1棟の小さな祠。中央には坐像の石仏がドンと坐しています。

大きさは台座と光背を含めて1.5mほど。奉納された真っ赤な涎掛けをかけていて地域の人たちに大事にされていることがわかります。お地蔵さまのような印象ですが、頭にお団子のように盛り上がった肉髻が見えるので、お地蔵さまの属する「菩薩」ではなくもう一つランクが上の「如来」という仏さまであるということがわかります。

手の印相は輪っかを二つ組むことからこの仏さまは阿弥陀如来。
結跏趺坐(あぐらをかいたような脚)の足の裏まで丁寧に彫られています。

石の表面の荒れ具合から露仏だったと思われるのですが、左手の衣には厚い襞(ひだ)の彫りがテンポよく残り、丁寧にしっかり彫り込まれて造られたことがわかります。

以前はここのほど近くに処刑場があり、その関係から極楽浄土の救世主である阿弥陀如来が造られた可能性もありますが、実はこの石仏にはこういった呼び名があります。

「義経大日如来」。

姿は「阿弥陀如来」のようですが、「大日如来」として信仰されているのです。

こちらが石仏の前にある華瓶。「義経大日如来」の文字があります。

阿弥陀如来が大日如来とされていることも不思議ですが、「義経」の文字も気になりますね。

実はこの石仏にはこんな言い伝えがあります。

平安時代末期、鞍馬にいた牛若丸(源義経)が東海道を通り奥州に出向くためこの蹴上の坂にさしかかった時、反対方向からやってきた平家の武士関原与一重治ら9人を乗せた馬たちが勢いよく水溜りの水を蹴り上げて牛若丸にかけてしまったのです。

近くの日向大神宮で道中の安全祈願をしてさて出発!という時だったので、その門出を汚された牛若丸、威圧的な平家の家臣たちの姿を見て怒りが収まらず・・・その9人を斬殺してしまったのです。

えぇ!そんなに荒い気性だったの?と耳を疑ってしまいそうな伝説、馬が蹴り上げたというところからこの場所を「蹴上」というようになったという話もあるそうです。

そして後にこの行為を悔やんだ牛若丸が、殺してしまった9人の菩提を弔うために9体の石仏を造り、東海道沿いに安置したのだそうです。

その一体がこちらインクライン広場にある「義経大日如来」というお話です。

伝説を知った上でお顔を拝すると、磨耗してうかがい知れないはずの表情がなんとなく優しく安らかなものに感じてきます。

地蔵菩薩や大日如来は、京都の辻(交差点)に多く安置された仏さま。
道行く人々の健康や道中の安全、また置かれた町内の守護をお願いしていたといいます。

この東海道は今でも多くの人々が行き交います。旅人を静かに見守り続けてきた石仏だからこそ、阿弥陀如来の姿をしながらも地蔵菩薩や大日如来と同じような存在で道中の安全を祈願し、呼び名がいつの頃からか「大日如来」になったのかもしれませんね。

義経の想い、旅人の想いを背負った「義経大日如来」は、様々なことを経験し年を重ねた長老のような慈悲深い背中をしていました。

施設情報

インクライン

史跡

インクライン
  • 京都府京都市左京区粟田口山下町4

この記事を書いた人

政田マリ

仏像ナビゲーター

政田マリ

月に一度素敵な仏さまをご案内する『月イチ仏像ガイド』主催。京都の魅力、仏像の魅力を世に広めるために仏像ガイドとしての活動しています。日本仏像検定A級。年季の入った『カープ女子』です。

関連記事

人気記事ランキング

まだデータがありません。

読みもの

特集

Menu