カミゴト

【祇園祭】山鉾の女性の神様


今年もやってきました、京都三大祭のひとつ、「祇園祭」。
山鉾巡行が大きく取り上げられますが、実は7月1日から31日まで、1か月もの長期間で開催されるのがこのお祭りです。
・・ということで、祇園祭の見どころをご紹介したいと思います。
普通に書いても面白くないので、今回は山鉾の御神体の中でも、女性の神様に注目してみたいと思います。

山鉾は全部で33基(鉾8基、傘鉾2基、曳山3基、山20基)あります。
前祭(13日または14日~17日)に22基、後祭(21日~24日)に10基見ることができます。
このほか休み山といって、山鉾がなく居祭(会所飾り)を行われるところが2か所あります。
また追々ご紹介できればと思います。

煌びやかな装飾に目が奪われがちですが、全山鉾には御神体が祀られています。
この中で一番多く御神体とされているのが、神功皇后(じんぐうこうごう)です。
占出山、船鉾、大船鉾の3つに鎮座されます。

この神功皇后は、どんな神様なのでしょう。
ヤマトタケル(『古事記』では倭建命(やまとたけるのみこと)、『日本書紀』では日本武尊(やまとたけるのみこと)と表記します)は、みなさん聞いたことがあるかと思います。 神功皇后は、このヤマトタケルの子仲哀(ちゅうあい)天皇の后になります。

あるとき、神功皇后に神(住吉三神)が降臨して、「金銀財宝に恵まれた西の国(新羅)を服属させよ」と発します。その神のお告げを疑った天皇を、神はひどく怒り、「お前が天下を治めるべきではない」と告げ、天皇は急死してしまいます。
神功皇后は体内に子を宿したまま、神の命に従い、朝鮮半島に向けて出航し、新羅を攻めます。新羅はその勢いに圧倒されて降伏します。
神功皇后はこの時、お腹に石を巻いて冷やすことで出産時期を遅らせたというエピソードがあります。
帰国後に無事生まれた子供は、後に応神天皇となりました。

神功皇后がお腹に巻いていた石を「月延べ石」といい、3つあったとされるうちの1つが京都にもあります。

覚えていらっしゃいますでしょうか? 松尾大社の摂社月読神社です。
寒竹泉美さんの【連載エッセイ】「 Vol.6 ツクヨミノミコト (月読神社)」に出てきます。
これにより、神功皇后は、戦いの守護神として信仰されるようになりました。
また、帰国後に無事に出産されたことから、安産、子育ての神としても信仰されています。

占出山
お顔がわかるものがこれしかなかった・・。
色白で凛とした美しい顔立ちをされていますね。
右手に釣竿、左手に釣り上げたばかりの魚(鮎)を持っています。
神功皇后が、筑紫の末羅県(まつらあがた)の玉島里(たましまのさと)に着いて、裳の糸を抜き、飯粒を餌にして鮎を釣ったという故事に基づいています。

船鉾
『祇園社記』によると、船鉾は応仁の乱前から、「出陣の鉾」と「凱旋の鉾」の二基あったとされ、船鉾は「出陣の鉾」になります。
神功皇后のお顔はわからず・・。
一緒に祀られているのは、右から住吉明神、鹿島明神、安曇磯良になります。

大船鉾
こちらは、「凱旋の鉾」になります。
祭神は、船鉾と同じです。元治の兵火の際に、神功皇后の御神面は守られましたが、それ以外は罹災してしまいます。
明治時代に神功皇后のお体・お衣装は復元されました。写真は居祭のときに撮影したものですが、こちらもお顔はわからず・・。

続いて、岩戸山の天照大神(あまてらすおおみかみ)です。

日本神話の「天の岩戸」と「国生み」をモチーフにした曳山です。
御神体は三神あり、中央にいるのが天照大神です。
ズームアップするとこんな感じです。

なぜかこの天照大神は、男子の姿をしているんですよね。
 天照大神については、寒竹泉美さんの「Vol.3 アマテラス (朝日神明宮)」をご覧くださいね。

余談ですが、鉾の屋根にまたがっているのが、なんと素戔嗚尊なのです。右手には天瓊矛(あまのぬぼこ)を持っています。これがなんともユニークで、つい目がいってしまいます。

続いて、鈴鹿山の瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)です。

伊勢国の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治したという、鈴鹿権現の伝説に由来します。
能装束を身にまとい、面をつけ、左手に大長刀を持っています。
写真右の赤熊(しゃぐま)がわかりますでしょうか?
これは退治した鬼の首を表しています。
身長は176センチもあるのだとか。
その美しさは、山鉾一とされ、巴御前や静御前にも例えられています。
面の下の素顔も美しいとされているんですよ。
見たいですよね?
はい、素顔も見られるんです。

お会所でミニチュアが展示されています。
何しろ小さいので、望遠でご覧になることをおすすめします。
鈴鹿山は、盗難除け、雷除け、安産として知られています。
鈴鹿山は東海道の途中にあり、盗賊が横行する場所としても有名だったからなんだとか。
もしかすると、悪鬼=盗賊だったのでしょうか?

ちなみにこの瀬織津姫は、『古事記』にも『日本書紀』にも出てこない神様です。
『秀真伝』によると、天照大神の皇后とされています。
ん?皇后?天照大神って女性じゃなかった?
実は、男神のアマテルと女神のアマテラスの2人いたという説もあるんです。
天で自ら照るアマテルと、天を照らすアマテラス。
そう考えると、先ほどの天照大神が男神なのも頷けますね。

また、瀬織津姫は、天照大神の荒魂であり、棚機津女(たなばたつめ)であり、棚織姫であり、七夕伝説の織姫と同一とも考えられています。
京都の宇治にある橋姫神社の橋姫と同一ともされています。

最後は、役行者山の葛城神です。

役行者山には御神体が三体あり、右側の青い装束を身につけているが葛城神になります。
え?顔がわからない?

女性・・に見えますか?
台付の法輪を手にしています。

葛城(かつらぎ)は、奈良にある地名です。
『古事記』の下巻にも登場します。葛城氏は、この地の大豪族でした。
神功皇后の母も、葛城氏の一族だとされています。
この地の産神を一言主神とし、葛城神は同一神とされています。
一言主神は役行者に仕えており、ある時葛城山と吉野の金峰山との間に石橋をつくりなさいと命じられます。
一言主神は容貌が醜く、昼は見られたくないので夜だけしか働きませんでした。
それを怒った役行者は、その罰として呪縛し放置されてしまいます。
うーん、なんだか悲しいお話ですね。
ただ、醜かったというのは、あとから付けられたものだとも言われています。
『古事記』では、雄略天皇にそっくりな姿で現れたとして、男神として書かれています。
京都の石座(いわくら)神社の摂社に一言神社があり、願いを一言だけきいてくれる神として親しまれています。

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この記事を書いた人

萩野桂

ライター

萩野桂

京都生まれの京都育ち。詩や小説を綴りつつ、歴史が語る、京の記憶に魅せられて、今日もふらりと歩いています。

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