社寺さんぽ

【粟田神社】悪運を断ち切り、良運を切り開く刀剣の神社。


粟田神社は、地下鉄東西線東山駅から東へまっすぐ行ったところにあります。ちょうどこのあたりは京都七口のひとつ粟田口にあたります。平安時代以降には、刀鍛冶たちが住み、名刀を打っていたことで知られています。
江戸時代には、東海道五十三次の起終点である三条大橋の手前に位置し、「粟田焼」、明治・大正になると「京薩摩」の陶器がたくさん作られるようになり、大変にぎわっていました。
中でも錦光山は、明治3年頃には薩摩手の陶器を焼いており、明治40年には700人もの職人を抱える、京薩摩最大の窯元だったそうです。

萩野も最近まで、この京薩摩の存在すら知りませんでした。京薩摩の美術展を見て、ひと目でその虜となってしまいました。伝統的な白薩摩に金彩色絵が事細かに描かれていて、とても美しいです。今は作られていないというのが本当に残念で仕方ありません。

さて、三条通りから南へまっすぐ、静かな参道をひたすら歩いていきます。この先の石段が結構きつい・・。運動不足のこの身には堪えます。ただ人も少なく、朝の凛と張りつめた冷たい空気とともに、清々しさを感じます。

こちらの手水、なんと自動式!なんてハイテクなんでしょう・・。
自動式なんて初めてみたのでびっくりです。

粟田神社は、旧社名を感神院新宮、粟田天王社と称していました。八坂神社が明治まで祇園感神院と称していたのに対して、新宮だったわけです。室町時代に祇園祭が行えなかった時には、粟田神社の祭礼を代わりとしていたといわれています。粟田神社の氏子地域では、御霊信仰の祭具として欠かせない剣鉾を、市内最多の18基計44本を所持されています。この粟田祭に関しては、後編でご紹介いたします。

明治時代に、今の粟田神社と称するようになりました。本殿は、応仁の乱で焼失し、1823年に再建されたもので、三間社流造りで、その手前に幣殿がある江戸後期の特色を残す複合社殿となっています。京都市指定有形文化財に指定されています。

主祭神は、建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)。左殿に、八大王子命(はちだいおうじのみこと)、右殿に奇稲田比賣命(くしいなだひめのみこと)、神大市比賣命(かむおおいちひめのみこと)、佐須良比賣命(さすらひめのみこと)を祀っています。

こちらの北向稲荷神社の祭神は、雪丸稲荷 他三座です。雪丸は、三条小鍛冶宗近が、刀を打つ時に合槌したお稲荷さんといわれています。人と狐が一緒に刀を打っているところを想像すると、なんだかほのぼのしますね。

本殿の左手奥にあるのが、出世恵美須神社です。もともと蹴上の夷谷に奉祀されていたもので、源義経が、奥州下向の際に源氏再興の祈願をしたといわれています。

境内からは市内が一望。平安神宮の大鳥居も見ることができます。

参道の石段の途中には、鍛冶神社があります。祭神は、三条小鍛冶宗近命、天目一箇神、粟田口藤四郎吉光命。祇園祭の先頭をきる長刀鉾の長刀は、もともとはこの宗近が、娘の病気平癒祈願のために奉納したものだったそうです。今は町内の宝物とされているため実物を見ることができません。

絵馬は剣鉾の形をしています。悪運を断ち切り、良運を切り開き、どんな願いも叶えてくれそうですね。最近、刀剣ゲームの人気もあり、刀剣がデザインされた御朱印帳や御守も人気があります。

施設情報

炭焼 鶏たか

神社

粟田神社

この記事を書いた人

萩野桂

ライター

萩野桂

京都生まれの京都育ち。詩や小説を綴りつつ、歴史が語る、京の記憶に魅せられて、今日もふらりと歩いています。

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