社寺さんぽ

【関大明神社&離宮八幡宮】遊び心満載!ユニークな街、大山崎


JR山崎駅を降りると、案内所に名刺サイズの店や神社のカードがあります。

キャッチコピーやデザインがとてもユニークで、目を引きます。

真中の地球儀のは、自転車のサドルカバーを作っている会社なんですよ。

これらを見ると、あれこれと寄ってみたくなりますね。

ちなみに、阪急大山崎駅には置いてなかったです。

残念。

京都と大阪と県境にあった関所

JR山崎駅の改札を右へ道なりにまっすぐいくとあります。

ちょうどここが県境になります。

右が大阪、左が京都です。

石碑には、「従是東山城国」と書いてあります。

関大明神社が角にあります。

このあたりは、摂津国と山城国の関所だったといわれています。

平安時代の頃には関所は廃止されていたらしく、その跡地には関戸院という施設が建てられ、藤原道長や平家などが宿泊施設として利用されていたようです。

本殿は室町時代の中ごろに建てられたもので、大阪府の重要文化財に指定されています。

えごま発祥の地、離宮八幡宮

平安時代の初め、清和天皇(850-881)が「九州の宇佐八幡宮から八幡神を遷座しなさい」というお告げにより、僧に命じます。

その僧が、帰京した際に霊光を見ました。

その地を掘ると、岩から清水が湧き出たので、ここに御神体を鎮座し、社殿を建てました。こうして859年建てられたのが石清水八幡宮です。

嵯峨天皇(786-842)の離宮「河陽宮(かやのみや)」跡に建てられたので、後に離宮八幡宮と改称されました。

八幡にある石清水八幡宮は、ここから分祀されたものだそうです。

4月3日の「日使頭祭(ひのとうさい)」は、まず勅使がここに参拝してから、淀川を船渡りして男山へ参拝されていたことからはじまりました。

この船渡御、室町時代は50隻もの船があったとか。

また、葵花を飾る葵祭を「北祭」、藤の花を飾る日使頭祭を「南祭」と呼ばれたそうです。

その豪華絢爛さがうかがえますね。総門、東門は、大山崎町指定文化財に指定されています。

祭神:応神天皇、姫三神(田心姫命、市杵姫命、湍津姫命、酒解大神(又は大山衹命)

清和天皇の頃に、神主が長木という道具を使って荏護摩(えごま)を絞って油を採り、灯明油として使っていました。

寺社の雑役である神人(じにん)が売り歩き、全国に広まりました。

やがて朝廷から「油祖」の名を賜り、油の専売特許を持つようになります。

当時の搾油機を1/20サイズで再現したものが、拝殿にあります。

この大きな石は「かしき石」と呼ばれ、大山崎町指定文化財になっています。

南側に流れる淀川の川岸に、相応寺があり、三重塔があったとされ、その心礎だと伝えられています。

『都林泉名勝』に相応寺の事が書かれています。

「離宮八幡の東南に小堂あり、薬師仏を安ず、土人新堂といふ」

また、紀貫之の著書『土佐日記』(935年頃成立)にも書かれています。

2月11日に山崎の地を訪れて、相応寺のほとりに舟を止め、柳がたくさんあったのを見て、

「さざれなみ よするあやをば 青柳の 陰のいとして をるかとぞみゆ」

といった歌を詠まれています。

右手が石清水です。

のぞくと今も水がありました。

左手が手水鉢。

花崗岩でできたもので、江戸時代に社殿造営の記念として城主が奉献したものだそうです。

元治元年の兵火で焼けたため、今は使われていません。

境内には、大きな石群が規則正しく並んでいました。

これは、多宝塔の礎石なのだそうです。

それにしても立派ですよね、運ぶのだけでも大変そうです。

菅原道真の腰かけ石というのもありました。

菅原公が九州へと流された時の道中に、西国街道の道脇の石に座って休息し、

「君が住む 宿の梢を ゆくくもかくるまでも かへり見しかな」

と詠まれました。

ちなみに西国街道は、ちょうどこの境内を横切っていたようです。

社務所では、えごま油発祥の地とだけあって、えごま油のドレッシングが売られていました。

右のも御神酒・・と思いきや、よく見ると御神油です。

さらに、油だけに・・油断大敵。

このセンス、かなり好きです。

この近くには、オシャレなカフェもいくつかあり、またゆっくり歩いてみたいと思いました。

施設情報

関大明神社

神社

関大明神社
  • 大阪府三島郡島本町山崎一丁目5-10

施設情報

離宮八幡宮

神社

離宮八幡宮

この記事を書いた人

萩野桂

ライター

萩野桂

京都生まれの京都育ち。詩や小説を綴りつつ、歴史が語る、京の記憶に魅せられて、今日もふらりと歩いています。

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